20世紀を代表する有名な建築家の意外な一面リスト

Takashi Sasaki Takashi Sasaki
homify Ruangan
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近代を代表する建築家としてル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエなど、建築を勉強していなくとも彼らの名前を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?彼らは家具もデザインしていたことから、今でもその家具に触れたり購入して自宅に置いておくこともできます。彼らは現代の建築家の思想や手法に大きな影響を与えながらも、すでに亡くなっており文字や写真でしか接することができない遠い存在でもあります。そこで今回は、20世紀を代表する有名建築家の意外な一面を紹介して、少し親しみを感じながら彼らの作品を違った側面から見ていただければと思います。

ル・コルビュジエは人付き合いが嫌いで、作品中にも人間味が欠けた

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ネガティブなタイトルですが、それも巨匠ゆえかもしれません。コルビュジエはいわゆる「近代建築の5原則」という、ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面を提唱して、まさに近代建築の礎を築いていきました。しかし、この5原則を提唱する以前にも彼は著書の中で「住宅は住むための機械である」という言葉を残しています。この言葉の通り、彼の住宅は人間味溢れるというよりも、機械のように住宅のための効率性や機能性が重視されました。そうして彼は近世から続く装飾主義の建築からの脱却を果たし、建築の機能性と同時に新たな芸術性を創り上げていきました。

大学の学位を持たないフランク・ロイド・ライト

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日本で帝国ホテルを設計したことでも有名なフランク・ロイド・ライト。彼は91歳で亡くなるまでに家具なども含めると1200近くにもなる作品を遺して、その内400作品以上が実現されています。その数から彼はこれまでに最も作品を遺した建築家の一人ではないでしょうか。そんな信じがたい業績を残した建築家ですが、実は彼は大学の学位を持っていませんでした。アメリカのウィスコンシン大学マディソン校に入学していましたが、学位を取得しないまま大学を去り、建築事務所で働き始めました。それもあって、彼はわずか26歳で自分の事務所を起ち上げています。早くから精力的に実務をこなしていたからこそ、400以上の膨大な数の作品を遺せたのかもしれません。

ミース・ファン・デル・ローエ住宅作品の1つに戦後子供のための施設になったものがある

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「レス・イズ・モア」を象徴する建築作品で有名なミース・ファン・デル・ローエ。彼の代表的な作品の1つとしてチェコのブルノに1930年に建てられたトゥーゲントハット邸があります。所有者であるトゥーゲントハット家族はユダヤ系であったことから、1938年に一家で海外へと移住してしまいました。戦中はドイツ人に、戦後はロシア人たちに占領されながら、1950年代にようやくチェコスロバキアの国有となり一時期は隣接する小児病院の整形外科としても利用されていました。現在は世界遺産にも登録されていますので、訪れた際は細部まで考え抜かれたデザインとともに、この住宅がたどってきた様々な歴史も味わってみて下さい。

アルヴァ・アアルトの作品のほとんどは妻アイノも一緒にサインしている

Works by Aino & Alvar Aalto, NORD3 NORD3 Ruang Komersial Pusat Eksibisi

近代建築の巨匠でもありながら、数多くの家具やガラス器などを手掛けた北欧家具のデザイナーでもあったフィンランド生まれのアルヴァ・アアルト。北欧家具のように彼の建築は人間味があり、素材を生かした有機的なデザインが特徴です。実は彼の奥さんアイノ・アアルトも建築家であり、デザイナーでもありました。彼らはともに作品をつくり、アイノが1949年に亡くなるまで、作品には2人の名前でサインをしていました。アアルトの作品を見る時は、是非奥さんアイノのことも思い出してみて下さい。写真はスイスのNORD3が関わったアルヴァ・アアルトとアイノ・アアルトの作品の展覧会。

アントニオ・ガウディは電車事故で亡くなったが、その後もサグラダ・ファミリアは建て続けられている

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サグラダ・ファミリアの建築家として有名なスペイン、カタルーニャ生まれのアントニオ・ガウディ。ガウディ自身は1883年から彼の死の1926年までサグラダ・ファミリアの設計に携わりました。彼の最期は、ガウディがミサへ向かっている最中に路面電車で轢かれて意識を失い、彼が身なりを気にしなかったことや身分証を携帯していなかったことから、浮浪者と思われ十分な手当てがなされなかったことで、最終的にその数日後に亡くなるというものでした。ガウディの遺体はサグラダ・ファミリアに埋葬され、そこから静かに完成を見届けているかもしれません。

104歳まで生きたオスカー・ニーマイヤー

ブラジルの近代建築の巨匠オスカー・ニーマイヤー。彼は、溢れんばかりの創造性をもって広大なブラジリアにいくつもの建築物を設計し、首都を創り上げていきました。彼の建築デザインの特徴である「自由な曲線」が溢れるブラジリアは、1987年に世界遺産に登録されました。ニーマイヤー自身は2012年に亡くなる何と104歳まで生きて、その直前まで設計活動を行っていました。是非彼の作品を見る時は、その豊かな創造性とともに力強い生命力も感じてみて下さい。

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